私からブログが遠かった理由 ②
こんにちは!スタッフのまりえです。
前回、ブログを遠ざけてしまっていた理由を整理し、書き始めて、
一年と少々ぶりにブログ復帰を果たすことができました。
今回はその続き、
ブログを書くことへの抵抗感が生まれたきっかけはなんだったのか、
のお話です。
とにかく認められたい、嫌われたくない私。
Sangoのミーティング時ですら、未だに緊張し、ビビりまくる。笑
なので、自分の中から湧いてくる言葉を流していく、のではなく、
うまくまとめようとしたり、相手にわかるように、
と意識したりしながら話そうとすることが多々あります。
※全然正直じゃないじゃないか、私!
それに、理解させようとする=コントロール、であり、
相手のことを、「理解できない人」としている、上から目線の見方ですね!笑
そんなビビリな私にとって恐怖体験となったのが、
昨年度まで発行していたSangoの広報誌「つながり」。
編集という役割を務め、
人前に出す文章を書くという機会をいただきました。
それは、
誰かに伝える、それも、文字という目に見える形で自分の言葉を残す、
ということ。
人の評価を気にしていた私は、実はとても緊張していたのです。
子供の頃、クラス文集を学校で作ったときには、そんなことなかったので、
成長するにつれて培った意識なんだな〜
「つながり」の記事を書きすすめ、下書きを校閲してもらう際、
文章を書き慣れていないことに加え、初見の人にも伝わるか、主観的すぎないか、
などには気が至らなかった私の文章は、何度も修正を繰り返し、
そのたびに私は、自分自身にダメ出しをされているような気持ちになっていました。
【事実】と【物語】を履き違える、被害妄想ワールドに突入していたのです!
校閲のことを、
書き手の伝えたいことを汲み取り、内容が活きるように文章を磨く手助け
という【事実】としてではなく、
私の文章(=私)を否定するもの
として捉え、
ダメ出しされるかわいそうな私!がヒロインの、
自分の感情から作った【物語】の世界視点で見ていたのです。
(校閲してくれていた清治さん、勝手に加害者にしていてゴメンなさい!)
そして、そのとき感じた、
否定されている!
自分はダメなんじゃないか!
という気持ちは、向き合うどころか、感じることがすでに恐ろしいので、
感じなくてすむように、自分が傷つかないように、
無意識にフタをして心の深くにしまいこみました。
頭では、校閲の役割を理解し、
自分の物事の見方の癖を知ることができ、その幅が広がった、と、
「よかった」(嬉しかった)側面は、Sangoの面々にもシェアできましたが、
心の奥底にあった悲しみには気がつかない=無自覚だったので、
今の今までみんなに話すこともありませんでした。
こんな風に、感情を自覚させない、自分の本当の気持ちをわからなくさせることで
自分を守ることが多かった私。
この出来事は心の傷となり、私の中で嫌なこととして記憶され、以降、
文章を書いて自分を伝えることは、私を傷つける危険なことだ!回避しなくては!
と、ブログを書くことにも無意識に抵抗感を生むきっかけとなっていたのです。
経緯をここまで整理し、受け止められたのは今になってのことですが、
ブログを書くことになかなかエンジンがかからないことには
気がついていた私がその後何をしていたか、はまた次のお話へ。
〜つづく〜
毎日の暮らしに学びがある。
すべてを鑑、自分へ向けたメッセージとして暮らしを楽しむ。
そんなSangoの生活を体験しに来ませんか?