【お山】自分事ありきの他人事。 坂田麻季江
過去の記事でも触れたことがありますが、
昔の私は、「周りに合わせて生きる」をやっていました。
「周り」というのは、職場、友人、家族、趣味の集まりなど、
自分が属している集団のことです。
周りに合わせて、はみ出さない。
それによって認められ、重宝がられることで
自分の存在価値を見いだそうとしていました。
また、他人の悩みや相談を親身になって聞くあまり、
他人の悩みが自分事のようになってしまい、
同じ感情になり、自分を見失う、ということもよくありました。
誰かに腹を立てている人の話を聞くと、
「ひどい!」と自分も腹が立ってきて、
一緒に怒って、まるで自分がされたかのような気持ちになる。
「そんなことは許せない!」「こうあるべきだ!」などと
ヒステリックな正義感を振りかざして、感情的になったりしていました。
話にのめり込んでしまい、他人との境界線がなくなってしまうのです。
「自分を見失うほど他人に寄り添う私」を
やることによって、人から認めてもらおうとしていたんですね。
この、「他人との境界線」を意識することが、
私が乗り越えるべき、人生の最終テーマでした。
それに気づかせてくれたのは、おばぁです。
「もっと、他人との境界線を引くことを覚えないと。」
と言ってくれたのです。
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「他人事」を「自分事」として受け止めることができる。
それは、「共感できる」という感性を
持っているからできることです。
しかし、行き過ぎると自分を無くすことになってしまいます。
私は、他人に同調しすぎ、自分から離れてしまう事が多々ありました。
私にとっては、「周りに合わせて自分を無くすること」が、
生きる術(すべ)だったんですね。
属している集団からはみ出ることへの恐怖が
そうさせていたんだと思います。
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仏教では、エゴを捨てなさいと説いています。
しかしそれは、他人に合わせて生きなさい、という意味ではない。
他人に決断をゆだねる人生を生きなさい、というものでもない。
「他人のため」をやろうにも、行動するのは自分なわけで。
自分がしっかりしていなければ、冷静な判断ができません。
つまり他人のためには動けない。
「他人のため」は、「自己の成長」があってこそなわけです。
物事を、「自分事」として受け止めることを意識しつつも、
そこに境界線を意識し、「誰かの人生」ではなく「自分の人生」を生きる。
その上で、他人のために何ができるかを考える。
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おばぁに出会ってから、自分で主体的に決めて動く、
という経験を少しずつ積み重ねてきました。
それは、私を人として成長させてくれました。
私の人生に深みをもたらし、いろどり豊かにしてくれました。
自分で決めたことを、主体的にやり
その経験によって得た知識や経験を周りに共有する。
そうすれば、必然的に「他人のため」になるのです。
誰かの人生を生きるのではなく、自分で人生を選択していく。
「自分らしく生きることが、他人のためになる」
その言葉の意味に、やっとたどり着けました。
他人に揺さぶられるのではなく、
学ぶという視点で、物事を「自分事」として捉える。
その上で、「どうしたらよいか」を考え、
「利他」的な生き方をしていく。
自分らしく生きることと、他人のために生きることは、両立するのです。
アンポンタンな私が、ようやくたどり着いた結論です。
今年は、自分らしく生きる、を実践していきます。
お読みいただき、ありがとうございました。